憲法は国家権力抑制の要:9条論憲の再活性化を望む

コラム

本ブログでも再三にわたって「憲法改正」を取り上げているが、過去の投稿を参照して頂ければ分かるように、筆者(栗本)自身は憲法改正に向けた議論(論憲)は一切否定していない。また、憲法問題の根幹とも言うべき9条に関しては、従来から加憲方式ではなく『交戦権問題・戦力問題と正面から向き合う為の2項改正』をすべきとの立場をとる。

無論、この立場をとるからといって、現状の改憲勢力の中心である自民党の方針に追従する訳ではない。自民党は2項改正を事実上放棄し、新たな条文を追加(加憲)することで、自衛隊の違憲論争に終止符を打とうとする自民党の方針は、率直に言って余りにも不誠実であると感じている。

憲法と自衛隊:宙ぶらりんな現状

そもそも、現状の自衛隊は、憲法9条で言うところの『戦力』ではなく、主権国家の有する自衛権を担保する必要最小限度の実力組織として解されることで、憲法9条との整合性を維持している。

わが国が独立国である以上、この規定は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。 

憲法と自衛権(防衛省・自衛隊)

例えば世界の軍事力ランキングとして高名なGlobal Fire Power Index2019では、アメリカ・ロシア・中国・インド・フランスにつぐ、世界第6位の軍事力を持つと位置付けられている。日本は海洋国家として、排他的経済水域・領海・領土を総合した面積ランキングで、世界第6位の面積を誇る。また、周辺諸国には中国・ロシアといった権威主義国家、あるいは北朝鮮の様な軍事国家も存在するなど、緊迫した安全保障環境下に置かれている。これらの要素を鑑みれば、この軍事力規模も、決して違和感のあるものではない。

しかしながら、筆者自体はそうした規模を持つ軍事力に対する法的な基盤や統制が不十分、単刀直入に申せば、憲法における自衛隊に対する統制が余りにも不十分であると考えている。

これは決して、情緒的な問題提起ではなく、憲法の持つ『権力の規制』という観点からの問題提起に他ならない。果たして、相当程度の軍事力を持つ自衛隊に関する法的基盤・統制が「宙ぶらりん」のまま放置されていて良いのだろうか。

改めて現状の憲法9条を見直してみよう。

第二章 戦争の放棄

第九条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第二項

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

言うまでもなく、自衛隊に関する文言は一言たりとも入っていないのである。あろうことか、現状の自衛隊が存在する根拠である「自衛権」に関しても、一切の言及がなされていない。

こうした議論を展開する際に、『自衛権は、国連憲章においても認められる主権国家の天賦の権利であり、憲法に明記する必要はない』との言説を目にすることもある。ただ、現状の自衛隊が軍事力としても前述の様な相当程度である以上、その法的根拠を憲法に明記することは肝要と言うべきであろう。

民主党政権下、仙谷由人官房長官(当時)がマックス・ウェーバーの論を借りて自衛隊を「暴力装置」と呼称したことを記憶に留めている方もいらっしゃるだろう。この発言に関するTPO等の適当性を議論するは毛頭ない。しかしながら、自衛隊が’物理的強制力’を有する、「学術用語としての暴力装置」であることは疑いようもない。憲法の『国家の有する権力を規制する最高法規』としての性質を考慮すれば、自衛隊に関する憲法上の統制があって然るべきではないだろうか。

思い出される平和安全法制

2015年5月、安倍政権は「平和安全法制整備法」と「国際平和支援法」2法(以下:平和安全法制関連法案)を閣議決定し、衆議院に提出した。

前者は、平和安全法制を実現する為、自衛隊法・国連PKO協力法・国家安全保障会議設置法等の全10法律を一括して改正するものであり、後者は新法として、前者の平和安全法制下で諸外国の軍隊等に対する協力支援活動を行う際の根拠法としての役割を担っていた。これらの改正・新法によって、『保有すれども行使せず』とされてきた集団的自衛権に関して、部分的とは言え、その行使に向けた道が開くものであった。

本稿で「憲法と自衛隊」について議論するにあたり、集団的自衛権の話を欠かすことはできないと考えた。そこで、改めて2014年から2015年にかけての平和安全法制を巡る一連の動きを振り返りたい。

平和安全法制関連法案は、大きく分けて3つのフェーズに分かれている。まず、第一次安倍政権下で首相の私的懇談会として発足した『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』が活動を再開し、集団的自衛権の行使を容認する報告書を提出した段階(2014年5月)、次に「集団的自衛権行使の部分的容認」を含む閣議決定した段階(2014年7月)、そして先述の平和安全法制関連法案の国会審議・成立段階(2015年9月)である。

この一連の立法過程において、大きな役割を果たしたのが内閣法制局である。そもそも内閣法制局とは、内閣に設置され、内閣が提出する法案等の審査事務を中心的な職務とする行政機関である。警察予備隊設立や保安隊・自衛隊設立など、日本の安全保障政策上の重大な変化を伴う局面では、憲法9条の改正を行うことなく、内閣法制局(法制局)がその憲法解釈を変化させることで、場当たり的に対処を行ってきた。また、先述の集団的自衛権に関する『保有すれども行使せず』という解釈を維持してきたのもまた、歴代の内閣法制局であった。

内閣法制局長官は従来、政治任用職ではあったものの、不文律として同組織経験者の中から任用されていた。しかしながら、2013年に安倍政権は当時駐仏大使であった小松一郎氏を長官に任命、従来は『保有すれども行使出来ず』とされてきた集団的自衛権に関して、同氏が部分的解禁に積極的な姿勢を打ち出した。結果、前述の通り、2014年7月に「集団的自衛権行使の部分的容認」を含む閣議決定が行われた。ここでも、内閣法制局の解釈変化の帰結としての「集団的自衛権の部分的容認」が実現されたということが明らかとなる。

従前の通り、日本の安全保障政策に関する憲法解釈は全て内閣法制局に委ねられ、内閣法制局が逐次解釈変更を行ってきた。その歴史の結果、現在の自衛隊のリアルと憲法9条の本来の趣旨は大きく逸脱したものとなっている。

本稿冒頭でも述べた様に、筆者自身は現状の自衛隊の規模等には肯定的な立場をとる。しかしながら、現状の自衛隊と憲法の関係性には決して肯定的ではない。国家の政策の中で最も重要とも言うべき安全保障政策に関して、その法的根拠が内閣法制局の解釈のみに基づくことは、自衛隊の諸活動の法的基盤という面からも、何より自衛隊という「暴力装置」に対する統制という観点からも、明らかに不足があると言えるのではないだろうか。

国会で速やかな論憲を:自民党は2項改正から逃げるな

ここまで述べてきた様に、自衛隊と憲法の関係性を検討した以上、憲法9条に関する議論を国会で行うことは欠かせないと言えるだろう。特に左派政党にとって、9条に関する議論は禁忌とも言うべきものかもしれない(これは55年体制がその元凶にある)。しかしながら、日本を法治国家として機能させるためにも、速やかに国会・憲法審査会などにおける9条議論を開始して頂きたい。

また、自民党に関しては、拙速に改正を求めるのではなく、本筋の「2項改正」を引き続き主張し、その論理性等に関して、国民的理解を深める努力を進めて頂きたい。現行の自民党の9条改正に関する改憲方針は、憲法改正が自己目的化した、空虚なものに過ぎない。2項の在り方を検討しない限り、自衛隊を巡る様々な解釈論争に終止符を打つことは出来ないのである。

自衛隊に関する議論は国民から情緒的な批判を受けやすい面があることは否めない。しかしながら、日本国民は決して愚民ではない。その必要性と論理性を明らかにしていけば、必ずや広範からの理解を得る時機がやってくるに相違ない。改めて、国会における9条問題を中心とする論憲の活性化に期待したい。

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