改めて憲法9条の在り方を考える:憲法は聖書なのか

コラム

5月3日に我が国は憲法記念日を迎えた。71年前の5月3日に日本国憲法が施行されて以降、「法の支配」と「個人の尊重」という、立憲国家の核心的理念を基に発展を遂げてきたことは、非常に喜ばしいことである。まずは、先人達のご尽力に深く感謝の念を表したい。

さて、国会に目を向けると衆参両院において、いわゆる”改憲勢力(自民+公明+維新)”が3分の2以上の議席を保持している。憲法96条の 『各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。』という条文が実際に運用される可能性がある、という意味合いでは、戦後日本の政治史上でも初めてのケースであることはいうまでもない。

この情勢を踏まえ、自民党は国会発議を念頭に置いた憲法改正案を取りまとめた。自民党は2005年、2012年と憲法の全面改定を前提とした憲法条文案を取りまとめた歴史があり、それらの条文案と見比べると、今回の自民党の憲法改正案(以下:2018年改憲案)が穏和なものであるということは明らかである。2018年改憲案はそもそも党として改憲を目指す箇所を 自衛隊(9条)、緊急事態条項(64条・73条)、参院合区問題(47条)、教育(26条・89条) の4項目に絞り込んだ。また、これらの項目の内、自民党が最も妥協をしたと指摘することができるのは、言うまでもなく自衛隊(9条)に関する項目であろう。

今回のコラムでは、憲法9条に関して、自民党がこれまでに提出した『抜本的な』9条改正案、そして自衛隊の沿革に関して、改めて見直していきたい。

9条に関する自民党2005・2012改憲草案を見直す

そもそも、自民党は2005年・2012年の改憲案の双方において、9条の抜本的改正を主張していた。2005年改憲案においては、現9条2項を全文削除した上で、”自衛軍の設置”に関する9条の2の追加、また2012年改憲案においては、現9条2項を削除の上で、新9条2項として”前項(=9条1項)の規定は自衛権の発動を妨げるものではない”という条文、そして9条の2において”国防軍の設置”に関する条文を追加する事を検討していた。

これら2つの改憲案で更に注目すべきは、設置される組織(自衛軍・国防軍)に対する統制に関する規定が、”9条の2”といった形で設けられていた事であろう。2005年改憲案における自衛隊の統制構造は、内閣総理大臣を最高指揮権者とした上で、国会による活動の承認、そして組織及び統制に関する事項を定めた法律、という行政権、立法権、司法権の三権による統制であった。また、2012年改憲案においては2005年改憲案を基に、更に”国防軍に審判所を置く”事で、統制を強化しようとしていた。

いずれにせよ、自民党の本来のスタンスは自衛隊を国内法解釈上も(一般通念的な)軍隊として位置付けた上で、自衛隊に関する統制規範を憲法条文に盛り込むというものであった。現行9条2項『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』が招いている”自衛隊は実力なのか、戦力なのか”という神学的論争から脱却し、現自衛隊の規模感に見合った(根拠・統制)条文を設けることで、現自衛隊に対して憲法上も実態に即した制約を持たせる事を目的にしていたことは明らかである。また、現自衛隊を国内法上も軍隊として位置づけることに拠って、例えば部隊行動基準:ROEに関する問題(ポジティブリスト/ネガティブリスト問題)であったり、構成員の行動に関する処罰の問題であったり(例:PKO派遣時)、現在懸念されている問題を包括的に解決する事も同時に目的となっていたのであろう。

現9条は何らかの組織を予期していたのか

9条に関して2005・2012改憲案の中で抜本的な改正が検討された前提として、現行憲法9条が設けられた背景と現状の自衛隊との間に大きな乖離が発生している事が考えられる。

上記の記事は、現行日本国憲法の制定過程に大きな影響を与えている幣原喜重郎の直筆原稿が発見された、という事柄について取り上げたものである。その中で幣原が「他国の侵略より救う最も効果的なる城壁は正義の力である」と述べている様に、本来の(憲法制定時の)9条の解釈は”一切の武力行使の手段の放棄=非武装”であった。幣原内閣総辞職の後に政権を担った吉田茂も「戦争放棄に関する本案(=9条1項)の規定は、直接には自衛権を否定しておりませんが、第九条第二項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります。」と1946年6月の衆議院帝国憲法改正案特別委員会で述べている。

しかしながら、情勢の変化が日本の非武装路線の維持を許さなかった。1950年6月の朝鮮戦争の勃発に伴い、武装解除下にあった”日本の防衛”・”警察力を超えた治安維持”の任に当たっていた米軍日本駐留部隊は朝鮮半島における兵力増強を目的として朝鮮半島へと転出し、日本国内に実態的な兵力が存在しないこととなった。この空隙を埋める事を目的として、GHQが主導して1950年8月に警察予備隊令が日本政府によって公布され、警察予備隊が発足した。警察予備隊令において「わが国の平和と秩序を維持し、(中略) 警察力を補うため警察予備隊を設け」(警察予備隊令第1条)と定められていることからも分かる通り、警察予備隊は行政が持つ警察権の担保として設置された。

この段階で、憲法9条が本来持っていたと考えられる「非武装」という意味合いが崩れ始めるのである。警察予備隊は法整備上は警察権の範疇での活動を前提としていたが、朝鮮戦争の進展に伴い、米軍顧問による訓練や重武装化が図られていった。この背景には、朝鮮戦争の激化に伴って「日本を自由主義陣営の砦」として扱う必要性が増加していった事もあげられるが、いずれにせよ、”非武装”という元来的な9条の意味合いは、憲法条文の改正を伴うことなく変容を遂げてきたということを、記憶に留めておくべきであろう。

私達は、これからどう9条と向き合うべきか

解釈変更の結果によってもたらされた様々な安全保障政策に関して、私自身は反対という立場ではない。日本という国が、周辺諸国と領土問題を含め何らかの紛争を抱えている以上、国民の生命財産を担保する為には避けようのない政策であったのではないか、との印象がある。一方で、9条の掲げる理念そのものは、「理想像」として、非常に誇り高きものであると指摘することもできよう。

一方で、国際情勢は非常に『流動的』なものであり、常に理想を保ったまま推移するという事は考えにくい。そういった意味合いにおいて、国家の根幹である『安全保障』は常に様々な可能性を検討し、それらの対策を可能な限り多く保持することが、国家の安定に寄与すると指摘することが出来るだろう。であるからこそ、安全保障の憲法上の根拠というものは、抑止的であることは前提として、そのあらゆる可能性を認めることが肝要であるということが出来るだろう。
日本が戦後70年培ってきた『自由』や『民主主義』といった規範的価値観は、国家の安定があったからこそであると言える。今後も日本がそういった規範的価値観を尊重し、世界の中でリードしていくためにも、憲法の中において、国家の安定を図る最大限の可能性を認める姿勢が重要と言えるのではないだろうか。

 

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