「智の立国」は可能なのかー”不死身の特攻隊”に思う

講談社現代文庫より鴻上尚史氏の「不死身の特攻隊」が発刊されている。中吊り広告などでその存在は認識していたが、つい昨日ふとしたきっかけで購入、読み終えることが出来た。私自身、読んだ本の感想を詳らかに明らかにする行為そのものは余り趣味ではないが、今回の本からは特に感じるものが多かったため、文字に起こしておきたい。

「不死身の特攻隊」は太平洋戦争の戦中、帝国陸軍が組織した、所謂特別攻撃隊の一である『万朶隊』に所属しつつ も、体当たり攻撃を行うことなく戦争を生き延びた一人の下士官の実像に迫ったノンフィクション作品である。その詳細は是非本を手に取ってご確認頂きたいが、旧軍の”粗雑な実態”が克明に記録されている。旧軍の全てが”粗雑”であり、旧軍は”絶対悪”であるという一部の論調に与する意図は一切ないものの、本書の範囲に於いて、そして特別攻撃隊という攻撃方法の立案・実行過程における旧軍の意思決定プロセスはあまりにも醜悪なものであると指摘せざるを得ない。

本書の中で、東條英機首相(当時)が『精神力で敵機を撃ち落とすのである』と学生の前で訓示を行う場面も記述されているが、特攻隊の成立過程における旧軍の非科学的な論理展開には、只々開いた口が塞がらない。特攻隊の非現実性(現代風に言えば「エビデンス・ベースドではない」とでもなるのだろうか)に関して指摘する著作物は他にも多く存在するが、この書は’特攻を命令された側’の視点に一貫して記述されている点においても、非常に新鮮なものであり、おぞましさを感じさせるものであった。同時に、このエビデンス・ベースドでない意思決定に関しても、現代社会において非常に多いものではないのかと考える事は、考え過ぎであろうか。

実は、私の亡き祖父も一種の特攻作戦の要員として招集されていた過去がある。本土決戦に備えた『蛸壺作戦』の要員として、1945年8月16日に招集がかけられていたという話を私が幼かった頃に一度だけ聞いた記憶がある。そういった文脈においても、今回の書は私自身の生い立ちとも一切無関係であるとは言えない。

いずれにせよ、考えさせる事の多い本書を是非手に取って頂きたい。「智」に基づいた言論形成、そして政策決定が行われる未来はあるのか。これは政治的な左右両派に取って喫緊の課題であろう。

戦後73年の夏に、感じるものは多い。

 

 

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