憲法9条問題の原点とは

コラム

森友学園を巡る公文書管理問題や、イラクへの自衛隊派遣を巡る日報隠蔽問題で安倍政権が揺れている。文書主義は民主主義国家・法治国家の根幹であることは言うまでもないからこそ、安倍総理が先頭に立って、この疑惑を解明し、然るべき形で責任をとるべきであろう。

この一連の疑惑がメディアによって盛んに報道される一方で、これらの問題の影に潜んでしまった政策課題として「憲法改正」が挙げられる。自民党内で憲法改正が結党以降継続的に取り上げられ、議論されてきた実態があるかどうかは兎も角として、自民党が「憲法改正」を結党当時から訴えてきたことは間違いない。

自由党(当時)と民主党(当時)が”保守合同”を遂げた1955年に出された「(自民党)党の使命」の中で、“現行憲法の自主的改正を始めとする独立体制の整備”と謳われている。「国家主権の維持に諸外国の関与を如何に抑止するか」という観点に立ったこの文言が、暗に憲法9条問題を指し示していると言っても決して過言では無いだろう。実際問題、1960年代までの高度経済成長期への反動として、1970年代にいわゆる「新しい人権」という概念が提唱されるまでは憲法改正といえば、憲法9条問題であった。

一方で、この憲法9条問題を置き去りにしてきたのも、他ならぬ自民党であった。先段で「結党以降継続的に取り上げられ、議論されてきた実態があるかどうか」と記述したが、自民党で憲法問題が結党以来継続的に検討されてきた、という事実はない。例えば、1950年代前半には憲法改正(憲法9条改正)を主張していた鳩山二郎も、自民党総裁に就任すると、憲法改正に対する積極的な姿勢を見せなくなる。それ以上に、時間が経つにつれて、自民党内では経済政策がより優先されるようになり、憲法9条を含めた憲法改正問題は積極的には取り上げられてこなかった。この間に、憲法を法律上の手続きに従って改正するのではなく、日本の防衛政策転換の為に9条解釈を変更するというプロセスが通常となってしまった結果、皮肉にも条文を明示的に改定しなくとも、解釈改憲によって対処がされるという状態が生起した。度重なる解釈改憲によって、少なくとも先般の安保法制に至るまでは、”実際”の憲法改正は必要とされなくなったのだ。

前述の様に、かつての自民党が9条問題に正面から向き合うことなく解釈改憲を重ねてきた結果として、現在の複雑怪奇な憲法9条改正問題が私たちの眼前に横たわっている。左右両派も情緒的な、たとえば「自衛隊を認めることが自衛隊員の誇りに繋がる…」あるいは「9条改正は日本を軍国主義の道に…」と言った議論にとらわれることなく、日本の安全保障のあり方という大局的な観点から、憲法9条改正問題に向き合って頂きたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました