今上天皇のご譲位に関する現政権の対応を憂う

コラム

天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づいた今上天皇のご譲位と皇太子殿下の新帝ご即位が間近に迫りつつあり、来たる4月1日には新しい元号が菅内閣官房長官から発表され、その後には安倍総理自ら”談話”という形で、元号の出典元やその意について発表を行うことが報道等によって明らかになっている。

そもそも「皇室」とは何か

神話伝承に拠ると神武天皇から2600年以上にわたって続くとされる皇室は、近代的ないしは西洋的価値観に依らずとも、日本文化や伝統の中軸をなしていることは言うまでもない。何故ならば、皇室における「宮中祭祀」が日本古来から続く価値観(≒西洋における宗教)である「神道」そのものである為である。

神道とは、(宗教的な語彙を用いれば)自然信仰である。地形や気候的な観点から、古来より自然災害に悩まされていたとすれば、可能な限り天災を減らそうとする行為は極めて当然であり、日本人は自然と意思疎通を図ろうとすることで、その発生を抑止することを企図してきた。この自然との意思疎通の試みが「神道」であることは、民衆にとって最も身近な神道施設である神社の文化的・生活的位置付け、そして神社で行われていた様々な祭祀の内容からも明らかにすることができるだろう(豊作を祝う「秋祭り」などはその典型であると言ってよいのではないだろうか)。

同様に皇室における「宮中祭祀」とは、四方拝や神嘗祭、新嘗祭などの儀式を通して国家国民の安寧と繁栄を皇祖に対して祈念する行為である。そして太陽神としての側面を持つとされる天照大御神の様に、皇祖は何らかの自然(現象・事象)を象徴する「神」である。従って、皇祖への祈りは自然への祈りと同一の行為であると言って良い。つまり、宮中祭祀そのものが神道なのである。

何れにせよ、皇室が皇室として日本に存在するそもそもの所以は、何も近代的価値観である「君主」や「象徴」としての位置付けを有していた為ではなく、悠久の歴史の中で、皇室が神道を体現し、国と国民の安寧と繁栄を祈り続けてきた歴史、そして、祈りを行う中で守り続けてきた“しきたり”などの伝統があるからであろう。その歴史と伝統の重みが皇室の権威の由来であるとの指摘は有効ではないだろうか。

元号の意義:源流から現在に至るまで

そうした経緯に依った権威を持つ皇室は「元号」という伝統も保持し続けている。そもそも元号とは古代中国に端を発する紀年法の一種である。元はと言えば、君主が3次元的・空間的広がりのみならず、4次元的・時間的広がりをも支配するということを明らかにして、自らの正当性を明らかに後世的に明らかにしようとする試みであったと言ってよいだろう。

つまり、元号を制定する行為は、君主が自らの権威を明らかにすることと等しい。日本においても中世を中心に、武家などによって「元号」が利用されてきたことは語るまでもない。元号は君主が命名するものであるが、日本においては、様々な背景から(君主に相当する)天皇家の皇統が絶えることがなかった(≒易姓革命は起こらなかった)為、源氏幕府、足利幕府、織田政権、あるいは徳川幕府のいずれの治世においても、時の為政者は元号決定に関して、天皇に対して相応の影響力を与え、元号決定のプロセスに関与しようとした。武力によって権力基盤を築こうとも、その権力を確立する為に、元号等の天皇の権威を利用してきたと言っても良いだろう。為政者は(実力はいざ知らず)自らの権力確立には天皇の力が欠かせなかったのである。

近代以降は、特に西洋的統治システムの流入によって、皇室像は大きく変わることとなる。大日本帝国憲法を中心とする法体系、そして帝国議会をはじめとする統治機構が確立された。結果として、皇室は各為政者の権力確立の源泉としてではなく、統治機構の正当性確立の源泉として利用される様になる(天皇の輔弼機関としての内閣、など)。また、一世一元の制が導入されたことによって、天皇の権威発露の機会はある程度抑制されることになる。そして、特定の御代を象徴する言葉として、元号が用いられる様になっていくのである。

この構図は日本国憲法施行に再度変化を迎える。統治機構の正当性は「国民主権」によって担保され、天皇は国民と国民統合の象徴としての役割が憲法によって課される様になった為である。また、天皇の国事行為は内閣の助言と承認が必要とされ、国政に関する機能を有さないとされた。昭和天皇が崩御し、今上天皇が即位されたタイミングにおける改元に際しては、竹下内閣(当時)が元号の決定から発表までを主導して行ったことが象徴的ではあるが、現代において、元号は実態として「君主の権威を明らかにする目的」として意義は失われていると言っても過言ではなく、御代を象徴する用語としての意味が非常に強いものとなっている。

御代の象徴としての元号

このことを検討した際に、今日において元号は為政者にとって「使い勝手」の良いツールとして機能してしまう可能性を孕んでいることを見過ごしてはならないだろう。

日本国憲法下で国政に関する権限を有さない天皇ではなく、内閣が元号を決定・公表する法制(元号法)となっているからこそ、元号の扱い方によっては従来の様に「自らの権威を明らかにする」ことが可能になる為である。従って、為政者は元号に対して極めて慎重に、そして自らの権威が高まる様な形で元号制定に関与しないことが重要になる。換言すれば、元号そのものが日本においては皇室に由来するものであるからこそ、元号の扱い方によって、皇室の持つ歴史と伝統の重みを“私的に”利用することが可能ということに十分な配慮がなされなければならない、という観点である。

本来は前述の理由から、今日における元号制定に向けた一連の環境整備というものは、厳かかつ、慎ましく行われるべきである。しかしながら、現政権の動きは少々皇室の権威を私的利用しようとしている様に見えてしまう恐れがあると感じている。仮にそれが政治的課題として表出し、御代替わりというタイミングに相応しくない論争が生起する可能性も想定しなければならないとすれば、非常に残念であると指摘せざるを得ない。

その典型が、安倍総理による「新元号に関する談話」発表である。世俗的な為政者である総理自らが、自らが率いる内閣によって決定した元号の意義を説明することは、皇室の権威を内部化して、表面的には安倍総理を首班とする内閣がその権威を保持するかの様な印象を与えかねない為である。内閣官房が取り組もうとしている新元号発表に関するネット配信も同様である。無論、筆者は新元号発表そのもののネット配信には反対しないものの、過剰な演出は、ただ単に内閣の権威付けとして作用しない恐れがある為である。

皇室の権威を利用することは、様々な対立を引き起こすことは歴史が証明する通りである。日本の文化的・伝統的象徴である皇室の安定性を保つ為に、何より今上陛下のご譲位と皇太子殿下のご即位がつつがなく事が運び、御代替わりが平静な環境の中で実現できる様に、皇室の権威利用がないことを願ってやまない。

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