インターネット選挙運動の沿革3:規制緩和に向けた流れ

コラム

その後、eビジネス推進連合会によってインターネット選挙運動解禁に賛同する企業・個人事業主リストが民主・自民両党に提出されるなど、民間セクターからの働きかけも若干は見られたものの、何よりもの大きな転機となった出来事は2011年3月に発生した東日本大震災であった。

2011年は統一地方選挙が実施される年であり、特に被災4県(岩手・宮城・福島・茨城)においては複数の選挙日程が最大8ヶ月程度延期された。被災地における情報インフラの復旧・復興が当初の想定よりも遅々とした進展となる中で、総務省は、インターネットを使った情報提供を被災地に限定して積極的に推進するという方針転換を行なった [河村和徳 2011]。

この転換の結果、選挙公報のホームページへの掲載などが可能になり、伝統的な情報インフラが復旧しない中で有権者に情報を提供するという目的の達成が容易になった。結果的にこの経験がその後の総務省の方針に影響を与え、2012年3月には全国の自治体に対して、選挙公報を自治体ホームページに掲載する事を許容する方針が確立された。そして、2012年4月には、国政選挙の選挙公報に関しても総務省のホームページに掲載を行う方向性が示された [選挙ドットコム 2012]。

真のインターネット選挙運動解禁を目指して:民間キャンペーンによる機運の高まり・成立

これらの総務省の方針転換によって、選挙事務に関しては一定程度インターネット利活用が進んだものの、候補者や有権者にとって、インターネットにおける選挙活動の真の解禁は果たされていなかった。これは、依然としてホームページ等を活用した選挙活動が違法であるという総務省の方針が覆っていなかった為である。

そういった中で、民間セクターを中心としたキャンペーン「One Voice Campaign」が2012年4月に立ち上げられ、改めて民間からインターネット選挙運動解禁の機運醸成が図られることとなった [One Voice実行委員会 2012]。このキャンペーンは若者と政治を繋ぐ活動を展開する学生団体iVote創設者の原田謙介[1]や編集者の江口晋太朗氏などを中心とするものであり、国会議員を巻き込んだイベント等を積極的に展開した。

当時、野田首相(当時)の下で政権陥落の危機にあったにも関わらず、同キャンペーンには鈴木寛参議院議員(当時)や津村啓介衆議院議員といった民主党の国会議員達も精力的に携わった他、自民党・平将明衆議院議員といった議員達も積極的に賛意を示し続けていた (選挙ドットコム 2012)。

同時期(2012年6月〜8月頃)には、自民党がインターネットの選挙運動解禁に係る公職選挙法改正案を提出していた他、みんなの党(当時)は前述の自民党案をブラッシュアップした形である「公職の選挙におけるインターネットの活用の促進を図るための公職選挙法の一部を改正する等の法律案」を国会に提出し、審議入りが期待されていた。

しかしながら、当時の国会の選挙制度改革関連の“目玉”は「一票の格差の是正」であり、国会で具体的な審議がなされることはないままに廃案となった。


[1] 原田氏は2019年夏の参院選に岡山選挙区から立憲民主党公認で出馬予定である

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