秋の夜長と現在地

コラム

いつもとは違う夏もあっという間に過ぎ去り、秋がやってきました。夜、窓を開けて虫の音に耳をすます。時より涼しい風が頬を触る。どうも秋という季節には、どこか物悲しさを感じます。僕自身が春夏秋冬どの季節が好きかと問われれば、「秋かしら」と答えることが多いのですが、それはただ単に僕が秋という季節の生まれであるからではなく、この物悲しさに、どこか心を惹かれるところがある故かもしれません。

出だしから脱線してしまいましたが、ふと、今の僕自身が手足を動かしている事柄の現在地を考えてみたかったので、キーボードを叩きはじめました。「最近は何をやっているの?」という類の質問を苦手とすることは、僕と多少のお付き合いがある皆様であればご存知だと思いますが、これが難しいのは、偏に『どの程度の抽象/具体度で伝える(べき)か』迷ってしまう為です。「いや、そんなの社交辞令なんだから軽く流しなさいよ」というのは至極ごもっともな「アドバイス」なのですが、そうも簡単にはいきません。せっかく答えるのであれば、僕自身も納得する答えを返したい。そう思うこともまた至極真っ当な感情と言うことができるでしょう。

さて、この質問に抽象度を上げて答えを練るのであれば、おそらく「人と人の対話や熟議によるコモンズで、世の中を分厚くする為の仕掛けをつくる」ということになるのでしょうか。ここで言うコモンズとは、みんなの(ための)場所・空間といった概念を指し示すものです。例えば財産の多寡だとか、権威だとかに拠らず、一人ひとりが対等に参画する場所こそがコモンズです。そして同時に、世の中を分厚くするとは、世の中にある声を増やす、そして、異なる他人と他人が対話・熟議を行うことで生み出される新しい知だとか、いわゆる集合知を積み重ねるということです。知を積み重ねることで、私たちの生活や社会を形作る力が底上げされ、私たちが生きることそのものがさらに豊かになります。

例えば、『液体民主主義の社会実装を通した民主主義のDX』を目指すLiquitousにせよ、『対話の場を「開く」、新しい知見を「拓く」、私たちの中・私たちと社会が共に「啓く」』をコンセプトとするひらく研究所にせよ、あるいは『自らが考え抜き、自らで道を切り拓く』をテーマに続けている森を拓くプロジェクトにしても、これらの事業・活動を始めるに至った原点には、「人と人の対話や熟議によるコモンズで、世の中を分厚くする為の仕掛けをつくる」という思いが確固としてあります。もちろん、この思いについて、その現れ方(具体化のなされ方)や、それぞれの組織・プロジェクトの言葉を通しての言語化のなされ方は、それぞれの組織・プロジェクトによって変わりますが、実は一見異なる手足の使い方をしている様でも、思考のフレームは極めて近似しています。

無論、例えばラジオパーソナリティにせよ、あるいは「おっさんチャンネル」や「この○○の片隅から」といったYouTubeチャンネル。はたまたキャリア教育・総合学習に関連するファシリテーターなどにも同時並行的に首を突っ込むことができている理由もまた、一見異なる手足の使い方をしている様でも、思考のフレームは極めて近似している故なのです。

正直なところ、対話や熟議の深化に向けて、世の中が一歩一歩前に向けて進んでいるとは言えないことが余りにも多々あります。「権威を笠に着る」、「異なる意見・視点を敵とみなす」といったことが多く起こり、「大抵の物事は自分の思い通りに進まないからこそ、粘り強く対話を重ね、説得を試みようとする」といった、腰を据えた泥臭さが軽んじられていると感じることがないと言えば嘘になります。ただ、仮にそうであったとしても、今だからこそ、しっかりと僕自身は地に足をつけて、できることをやっていくべきだと確信を持っています。朝、目を覚ましたらまた頑張ろう。

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