ポストコロナの政治には『被選挙権年齢引き下げ』が必須

コラム

※本記事は一部編集・改題の上、言論プラットフォーム「アゴラ」に転載いただきました。

ポストコロナには「被選挙権年齢引き下げ」が必須 --- 栗本 拓幸
新型コロナウイルス感染症は、様々な形で私たちが住む社会に大きな影響を与え続けている。その中で「若者」は常に厳しい立場に置かれてきたことには、なかなか焦点が当たらない。新型コロナウイルス感染症と若年層2月下旬には安倍首相が対策本部の座上で突如

新型コロナウイルス感染症は、様々な形で私たちが住む社会に大きな影響を与え続けている。振り返れば、1月下旬の武漢からのチャーター機による邦人帰還に始まり、豪華客船ダイアモンド・プリンセス号を巡る対応、外出自粛要請、緊急事態宣言の発令など、常に大きな出来事が断続的に生起してきた。その中で「若者」は常に厳しい立場に置かれてきたことには、なかなか焦点が当たらない。

新型コロナウイルス感染症と若年層

例えば、2月下旬には安倍首相が対策本部の座上で突如、全国の小中学校と高校、特別支援学校に臨時休校を要請することを表明し、週明けの3月2日以降、大多数の学校が一斉休校となった。あるいは、3月中旬以降、小池都知事は、「若者がクラスター化するリスク」をメディア等で繰り返し発言し、若者をターゲットにした発信を強化していたことも思い出される。緊急事態宣言の発令後は、新学年・新学期にも関わらず、大多数の小中学校や高校、大学の休校が継続。大学・大学院によってはオンライン化が迫られた。これらに伴う奨学金・学費の問題は、今日も解決していない。そして現在は、年齢によって重症化リスクが大きく異なるにも関わらず、過度に安心を求めるAll or Nothingの世論が根強く残っている。結果、経済活動の完全な再起動がなされずに、経済的に困難な状態に留め置かれる若年層が多く存在する。

確かに、新型コロナウイルス感染症は未知の感染症である。故に、最悪の事態の回避を目的に、感染拡大初期の対応のスケールが大きくなったことは十分に理解し得るし、それ自体を批判する意図は毛頭ない。ただ、2月から四半期以上が経過し、新型コロナウイルス感染症の特徴の輪郭が徐々に見えつつある現在、対策を最早”All or Nothing”で議論する段階は脱したと考えられるのではないか。例えば業種業態ごとに、あるいはその活動に関わる人々の属性に応じて、個別具体的に対策を議論する時期にあると言えるだろう。個別具体的な議論がなされない限り、若者は永遠に厳しい立場に留め置かれることとなる。

政策形成における多様な視点の欠如

この社会には多元的な価値観が存在し、多様な背景を持った人々が生きている。そうした多元的な価値観や多様な背景に由来する、様々な「資源」の配分を巡る紛争の合理的な解決を目指して、政治という営みが存在し、我が国においては、議会制民主主義に基づいた政治が日々行われている。

ただ、日本で政治に携わる人々について、その年齢に注目すると余りにも歪な偏りが存在する。例えば2017年・衆議院総選挙に注目すると、当選者の平均年齢は54.7歳(当時)である一方、当選者に占める年代別の割合は30代が7.1%、40代が26.9%、50代が33.1%、60代が24.5%、70代が8.4%であった。当時、衆議院の議員の約3人に1人が50代であり、被選挙権年齢は25歳であるにも関わらず、20代の国会議員は1人も存在しないという状態であった。

国会議員にせよ、地方議会議員にせよ、彼ら/彼女らは、単にその世代や支援者のみの代表ではなく、全国民あるいは全住民の代表であることは言うまでもない。しかし、様々な社会情勢の変化などによって、世代ごとに感性に何かしらの特徴があり、「ロスジェネ」に代表されるように、制度施策によって不利益を被った世代もあることから、可能な限りあらゆる世代から議員が誕生することが、ひいては「議会(議員全体)の感覚」と「国民の感覚」を近づけることに繋がる。

課題解決に求められている「若者の感性」

コロナ禍を通して、様々な課題が浮き彫りになった。特に公務員制度、議員のなり手、政治のDX(デジタル・トランスフォーメーション)は、重要な課題になると考えている。

課題1:公務員制度について

今回のコロナ禍を通しても、霞ヶ関の疲弊が顕著に見られた。特に厚生労働省など、公衆衛生行政を直接所管する省庁が逼迫する様は、メディア等でも報じられた。従前からの課題である国会対応については、感染症対策として、Web会議システムが導入されるなどしたものの、抜本的に見直されることはなかった。

そもそも、今国会には国会公務員制度の在り方そのものを議論する契機になり得た「国家公務員法改正案」に係る議論があった。しかし、検察官の定年延長問題のみに焦点が当たった結果、公務員全体が高齢化する中で、例えば定年延長により高齢層が降任すると、若手に割り振られ得る役職の枠数が抑制されるのではないか、といった論点は全く提示されなかった。そして、定年延長の前提であった、年功序列型人事から能力評価人事への移行、官庁の人材公募などを含めた「公務そのものの在り方」についての議論は殆どなされなかった。いずれ、地方公務員の定年延長についても議論されることを踏まえれば、明らかに物足りない国会審議であった。

報道によれば、国家公務員総合職の応募は4年連続で減少している。加えて、20代〜30代で官庁から民間企業へと転職する事例も決して少なくない。霞ヶ関を支える人材が見るからに不足し始めている背景には、「公務そのものの在り方」を議論しない、政治の不作為があることは明白だろう。

課題2:議員のなり手について

また、議員の「なり手」を如何に確保するかという課題もある。地方議会議員にせよ、国会議員にせよ、その経歴や背景が固定化されているという課題があるだろう。世襲が即ち批判されるべきものとは考えないものの、各政党の中で議員候補者同士が切磋琢磨する環境は重要である。政党の中で切磋琢磨する環境がなければ、政党組織の弱体化に繋がり、ひいては議会制民主主義に対して、国民からその信頼性に疑いの目を向けられる状態となることは想像に難くない。

コロナ禍のような有事に際しては、冷静にファクトやエビデンスに基づいて議論を行う、柔軟に物事を考える、あるいは様々な先進/参考事例を収集/分析し、政策への反映を行う。政局を優先せず、国民を向いた国会審議を行うといったマインドが特に求められる。こうしたマインドを持った人々を国会や地方議会へと送り込むためには、その前提として競争が起こることは欠かせない。

課題3:政治のDX(デジタル・トランスフォーメーション)について

あるいは、コロナ禍を通して、国会審議のオンライン化も話題となった。結果的には、議員の退席による3密の回避など、小手先の対応に終始していた様に見える。数年前に、自民党・小泉進次郎代議士や小林史明代議士、国民民主党・古川元久代議士や泉健太代議士が取り組んでいた『「平成のうちに」衆議院改革実現会議』が発出した提言では、衆議院のIT化が、重点項目の1つとして取り上げられていたことは記憶に新しい。

そもそもDX(デジタル・トランスフォーメーション)とは、単に既存の制度・仕組みのデジタル化を指す用語ではない。現下、政府や経団連は、サイバー空間と物理的な空間が高度に融合するSociety5.0という新しい社会像を打ち出している。こうしたサイバー空間やテクノロジー利活用を前提に、社会の中にある既存の枠組みをCreative Destruction(創造的破壊)し、より良いものを再構築する営みを指す。

民間企業はDX(デジタル・トランスフォーメーション)への対応を進め、諸外国では、例えばシンガポールやフィンランド、エストニアなどでGovTech(ガバメント×テクノロジー)の実践・実装が進む中、日本においては未だファックスの撤廃やペーパーレスといった段階の議論に終始している。

これらの課題は、人口減少局面に差し掛かっている日本が、これから国・地方の政府を健全に経営していくためには、欠かせず議論する必要があるテーマであると言えるだろう。これらのテーマについて、より多くの若者が当事者として議論に参画し、その視点や感性を積極的に活かすことができる環境を創りあげることで、よりその解決が容易になるのではないか。

今こそ若者の視点が欠かせない

2015年の公職選挙法改正により、選挙権年齢が20歳から18歳へと引き下げられた。2018年の民法改正によって、2022年度から成人年齢が20歳から18歳へと引き下げられる。被選挙権年齢と密接に関係する選挙権年齢や成人年齢が引き下げられたにも関わらず、被選挙権年齢の引き下げに関する議論が見られない。これも政治の不作為の1つであると指摘したい。

本稿の冒頭で述べたように、若者は社会的に弱い立場に置かれることが多い。故に、『若者の声に耳を傾ける』という言辞を耳にする機会は少なくない。ただ、若者はいつまで経っても耳を傾ける対象であり続ければ、言い換えれば、政治的に客体であり続ける限り、若者が弱い立場であることには変わりがない。そして、前述の3つのテーマのように、若者の視点・感性が求められる課題は、非常に多く存在する。コロナ禍を経験した今こそ、政治の側から、若者が政治的な主体になり得るというメッセージを積極的に出すことが重要になる。

そこで、『被選挙権年齢の引き下げ』が肝要になる。現在、衆議院・市町村長・地方議会議員について25歳、参議院・都道府県知事について30歳に設定されている被選挙権年齢を(その具体的な下げ幅は議論の余地があるにせよ)引き下げることは、若者に対して有効なメッセージになる。選挙の結果、例えば大学生の地方議会議員や大学院生の国会議員が誕生すればどうなるだろうか。政治的に無気力・無関心とされる若年層と同じ視線で語り、行動する政治家が誕生すれば、確実に若者の政治的関心が喚起されると考えている。

確かに、大学生の地方議会議員や大学院生の国会議員に抵抗感を覚える有権者の方々も一定数いるだろう。しかし、我が国は選挙で有権者一人ひとりが票を投じることで、地方議会議員や国会議員が選出されるのである。つまり、年齢が不適格であると考えるのであれば、有権者が票を投じなければ良い話に過ぎない。門戸を最初から閉じておくことに、何ら合理性はない。比例代表の定年制の前に、まずは被選挙権年齢の引き下げについて議論が行われることを期待する。

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