生徒参加の枠組みとしての生徒会:学校から民主主義の発展を

コラム

日本において、学校内の生徒参加は遅々として進んで来なかった。学校内の「参加」の枠組みとして想定され易い「生徒会活動」に関しても、1950年代に学習指導要領に明記されて以降、今日に至るまで教育課程の1つとして発展を遂げてきた。’50年代後半〜’70年代前半には、一部の高校の生徒会が過度に政治化し、学園紛争に与した歴史的経緯があるものの、現代の生徒会活動の大半は、「自治(的)」な性質よりも、奉仕・ボランティア活動としての性質が勝っているとしても過言ではない。これは、生徒の意識による変質と言うよりは、学園紛争などを経験した教員や教育委員会、文部省が意図的に生徒会活動に触れて来なかった結果と評価した方が適切であろう。

いずれにせよ、生徒会活動に対する”自治的”/”自主的”といった一般的なイメージは、今日における実態と乖離する部分があることは否めない。それでも尚、各学校においては生徒会役員選挙や生徒総会といった民主主義的な枠組みが、”学習指導要領”に基づいて実施されているケースが大半であることを踏まえると、生徒参加の枠組みとして「生徒会活動」を再評価し、運用することが可能なのでは無いかと考えている。

置き去りにされた「生徒参加」とその必要性

一昨年頃から昨年にかけて、”ブラック校則”が話題となった。「地毛の黒染め強制(地毛証明書の提出)」や「登下校時の水分補給の禁止」がその最たる例であろう。無論こうした校則は、基本的な人権の観点から廃止されて十分に然るべきものであるが、こうした生徒を「縛る」ルールに関して、学校側が適宜の見直しを加えることなく、一方的な生徒への押し付けを図ってきたことも、批判されるべきだろう。

2015年の公職選挙法改正に伴う「18歳選挙権」が実現する以前から、学校基本法においては政治教育の項で『 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない』(旧8条・新14条)と定められていた。2015年以降は、教育課程で政治的教養を育み、主権者としての素養を養うことを目的に、主権者教育が開始された。しかし、いずれの時期においても、政治に関連する事象を制度面から取り扱うことはあれど、政治的姿勢を実践的に養おうとする取り組みは、殆ど行われて来なかった。

況や、日本は民主主義社会であり、国民一人ひとりが主権者として、投票をはじめとする一連の民主的プロセスに積極的に参加することが理想とされる。積極的な参加に必要な姿勢は、制度面から政治を理解することのみで養われるものではない。若年期から参加の経験を繰り返すことで、より成熟した民主主義社会の構成員となり得るのではなかろうか。だからこそ、教育課程に「学校内のルールメイキングへの参加」や、「他者と対話を行いながら妥協点を模索する経験」を取り込むことは、民主主義を持続可能なものとする為にも肝要であると言えるだろう。ただ、繰り返しにはなるが、日本においては「生徒会活動」という既存の枠組みが存在するにも関わらず、学内で生徒参加が推進されることはなかった。

唐突な柴山文科相の発言

前述の様に、遅々として進んでこなかった「学校内の生徒参加」ではあるが、柴山昌彦文科相が9月3日の記者会見の中で、唐突に生徒参加に言及があった。

「(校則の)内容については、学校を取り巻く社会環境や児童生徒の状況の変化に応じて、絶えず積極的に見直す必要があると考えている。校則の見直しは最終的には校長の権限で適切に判断されるべき事柄だが、見直しの際には児童生徒が話し合う機会を設けたり、保護者からの意見を聴取したりするなど、児童生徒や保護者が何らかの形で参加した上で決定することが望ましい」と述べた。

教育新聞『「校則は生徒参加で絶えず見直す必要」 柴山文科相』(2019.09.03)

この発言が突如として出てきた背景は知るところにないものの、筆者自身はこの発言を大筋では歓迎したい。むしろ、遅きに失した感があることは否めないが、生徒を縛るルールの在り方を検討する過程に生徒が参加することは、そのルールの適当性を高めることになり、ひいては、ルールとの向き合い方を生徒自身が考えるという経験が、実践的な主権者教育としての側面を持つことに繋がると考えている

懸念される点は、形式上は生徒会活動などを通して生徒参加が促進されたとしても、生徒の自由な意見表明が担保されない『お飾り参加』に留まり、その実効性が担保されない可能性を大きく孕んでいることであろう。生徒参加について明確な言及がなされた以上、文部科学省などが先導して「生徒参加のモデル」を示すことに期待したい。その際には、生徒会活動という既存の枠組みを活用することで、迅速な横展開と社会からの理解を得ることが出来るのではないか。

再評価と高校生の活動の後押しを

筆者は2年程前に、生徒会活動の見直しを求める提言を策定し、文部科学省(初等中等教育局)や全国校長協会に宛てて発出した経験がある。その際に、特に文部科学省の担当者からは「生徒参加」に関して、必ずしも前向きな反応を得ることは出来なかったと記憶しており、今回の柴山文科相の発言は、非常に新鮮な印象がある。

2015年に18歳選挙権は実現こそしたものの、2016年参院選、2017年衆院選、2019年参院選と、18歳・19歳を含む若年層の投票率は低水準に留まっている。この現状を踏まえれば、実践的なカリキュラムを導入するなどして、抜本的に主権者教育の質を向上させることは欠かせない。そうした文脈において、生徒会活動を再評価する機運が高まることに期待感を隠せない。

日本の生徒会活動の現状が、必ずしも活発な状態にないことは再三指摘した通りである。しかし、来年の3月には、全国の高校生徒会役員有志が自主的に「第8回全国高校生徒会大会」を開催しようとする動きもある。まずは社会全体で高校生の活動を後押ししながら、行政から生徒会活動という枠組みを再活性化するというダブルトラックで、日本における生徒参加を加速していく形が理想であろう。

折しも、9月21日には日本若者協議会が主催する「ユースカンファレンス2019」が予定されている。同会は『全世代で考える、これからの教育と社会』をテーマとし、学校内民主主義を扱うセッションも設けられる予定となっている。そのセッションにおいて、筆者は不遜ながらファシリテーターを務めさせて頂く。筆者自身も、こうした機会も活用しながら、微力ながら生徒参加の促進に寄与していきたい。


追記(2019年9月4日19:40)

柴山発言に関しては、生徒参加に直接関係する箇所を除けば、従来の文部科学省方針と大きく変わるものではない(2018年11月14日の衆議院文部科学委員会の柴山文科相の発言などによる)。

ただ、生徒参加に関連する部分に関しては、これまで言及されて来なかった箇所であることから、発言の背景には大臣のセンスが大きく関わっているものと推察される。今後も期待感を持って注視していきたい。

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