私の野党論:政権交代可能な二大政党制を如何に実現するか

コラム

本論に入る前に、私自身の政治観ないしは政党観について、その凡そを記しておきたい。これは、本稿で自身の「野党論」を語る際に、どの立場・どの観点から自説を申し上げているのか、明確にする為である。

私自身は、政治を「①多様なアクターが存在する社会において、②よりベターな資源配分・法規制の在り方を実現する為に行われる、③全体的な合意形成を志向する社会全体の意思決定(を代替する)行為の連続」として捉えている。また、基本的には「政権交代可能な二大政党制」を志向し、二大政党で両議院で議員総数の3分の2以上を確保している事が望ましく、また外交・安保、憲法等の国家の根本となる政策領域に関しては、二大政党間では継続的な議論と合意形成に向けた努力が常に図られている状態が好ましいと考えている。

これらの前提に立った上で、改めて私自身の「野党論」について述べていきたい。

自民党に関する考察

野党に関して語る際には、現在の与党である自民党に関する考察は欠かせない。今の自民党の内実は、思想信条的にも非常に幅があり、一概に「守旧的」「国家主義的」「右翼的」といったイメージで語ることは、最早出来ない。近年は民間出身の議員(青年局の小林史明代議士などはその典型であろう)も増え、進歩的な政策を提示する場合も少なくない。

自民党の思想

自民党総裁である安倍総理は、比較的国家主義的な思想信条を持つ政治家であると私自身は捉えているものの、少なくとも直近2−3年はその思想が明らかになったタイミングは決して多くはない。むしろ、明確な国家観・政策観を持っていない可能性を留保させる言動は少なくない(これは、氏の憲法改正、特に9条改正に関する言動が変動を続け、あるいは直近の「選択式夫婦別姓」に関する発言が煮え切らないところから考えられる可能性である)。また、『日本会議』などの保守系団体は、政策形成の過程においてはさしたる影響力を保持していないと推測される。同団体が主催する各種イベントに、自民党所属の議員が多数出席していたことは、紛れも無い事実ではあるが、その出自を踏まえても、「日本の政治を裏から操る…」といった味方をすることは、論の飛躍が著しいと言わざるを得ないのでは無いか。

無論、自民党を支持する基盤は、所謂「保守層」であろうが、例えば日欧EPA・TPP11等の自由主義的貿易政策、国家戦略特区、種子法廃止、水道法改正をはじめとする種々の政策は、支持基盤の選好と必ずしも一致していない。平和安全法制(集団的自衛権行使の部分的容認)にせよ、「国防を考える自民党」「国防を考えない野党」というイメージが形成されたからこそ、自民党支持基盤では支持を得ていたものの、その内容を考えれば、必ずしも保守層からの本質的な支持を得ていたかは疑問符が付くだろう。自民党は要所要所で「保守政党」としてのアピールをしながらも、一面的には進歩的な政党であることは間違いようのない事実であろう。

余談にはなるが、参院選直前に、山本太郎氏が率いる「れいわ新選組」が、自民党の支持基盤の一部を切り崩しているという報道が散見された。これは、大きな政府を志向する彼らの「公約」が、伝統的な自民党の支持基盤の選好と一致するからであろう。自民党支持基盤の大半は、政策ベースで自民党を支持しているというよりも、『自民党は真正保守の政党である』というイメージ先行で票を投じているとしても過言ではないだろう。

「巨大」な自民党

他党出身の議員(みんなの党系の三谷英弘代議士や薬師寺道代参院議員、旧民主党出身の鷲尾英一郎代議士や長島昭久代議士など。あるいは「表現の自由」を基軸に無所属で活動していた山田太郎前参院議員も、今般の参院選に自民党公認で出馬・当選)なども、既に自民党に入党している。かつて二大政党制、あるいは第3極の確立を志向した議員達は、(政権の座につくことのない)野党に籍を置いている限り各自の政策実現が果たせない為に、自らが思い描く政党像に見切りをつけ、自民党内から政策実現を図ろうと考え、自民入党を決断したことは想像に難くない。つまり、人材面でも、社会観・政策観の面でも、現在の自民党は相応に幅がある。

ここまで述べてきた事を踏まえれば、自民党は国内の保守層に配慮を重ねながら、進歩的な政策を実行し、多様な社会観を持つ人間を包含する巨大政党であることは自明であろう。この巨大さは「野党」について語る際には欠かすことのできないものであろう。

対抗し得る野党を如何に作り上げるか

こうした自民党の「巨大さ」に対抗しうる野党像とは如何なるものであろうか。少なくとも旧社会党の様に、自民党の政策的な安定性を逆説的に担保する様な、過度に理想主義的な訴えは論外であろう。

今こそ明確な国家観・社会ビジョンを示すべき

私が考えるに、自民党の幅が余りにも広く、明確な国家観・社会ビジョンを示すことが出来ていないからこそ、自民党に対抗し得る「野党」は明確に国家観・社会ビジョンを示し、それらに広範の国民からの理解を得る事が必要ではなかろうか。換言すれば、支持基盤や「保守層」に配慮して打ち出すことが出来ない社会像を新しい野党は明確に示す必要があるだろう。

 他方、新しい野党は検証が十分になされた政策を立案し、訴える国家観・社会ビジョンというストーリーに載せながらも、政策の中身を波及させる必要があるだろう。「反自民」「反安倍」の様に、他者に自らの存在意義・価値を見出すのではなく、自らが掲げた国家観・社会ビジョンそのものへの共感を得て、その上で国家観・社会ビジョンを実現する政策を形にしない限り、自民党に対抗することは不可能だろう。

前述の様に自民党は部分的には「進歩的」ではあるが、そうであったとしても既存の統治体系・枠組みそのものに大きな変更が加わることはない。換言すれば、大多数の国民から統治の枠組みは疎外さ続けることになる。私自身は、そうした既存の統治体系・枠組みに対するアンチテーゼを提示することは欠かせないのではないか、特に私の文脈に寄せるのであれば、国民を信頼し、国民を統治の枠組みに内部化していく国家観・社会ビジョンを掲げることは欠かせないのではないと考えている。

長い時間をかけてこそ、自民党との健全な競争体制が成り立つ

こうした国家観・社会ビジョンは最早既存の職業政治家によっては紡ぎ出されることはない、と私自身は考えている。既存の職業政治家は既存の枠組み内で、彼ら・彼女らの議席の確保を最優先に動かざるを得ない為である(これは「既存の職業政治家が悪い」という話ではなく、選挙を常に意識しなければいけない制度の弊害である)。だからこそ、例えば10代・20代・30代・40代の民間起業家・社会起業家・政策起業家などを中心に、政局・政争から離れたところで、日本の国家・社会の行く末を案じながら、綿密な対話と合意形成を基に紡ぎだしていく形が好ましいと考えている。その様な過程を経て生み出された「新しい国家観・社会ビジョン」に合致する既存の職業政治家が仮にいれば、現段階の与野党を問わず、糾合すればよいのではないだろうか。

少なくとも、私自身は今後も研鑽を続けながら、こうした流れをより解像度を高くデザインし、実行に移していく必要があるのではないか。思いを新たにした次第である。

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