Government as a Service( #GaaS )を目指せ:これからの統治機構とは

コラム

「情報」が様々な物質・資源と同等の価値を持ち、それらを活用したフィジカル空間(3次元空間)における問題解決が図られてきたSociety4.0から、サイバー空間とフィジカル空間が高度に融合しながら、双方から問題解決が図られるSociety5.0の時代を迎えようとしている。その中で、統治機構の在り方が今日のそれから変わる必要がある事は、指摘するまでもない。

時代の変遷に伴って、統治機構の存在自体が消失する事は想定し難い。一方で、時代の流れに合わせて、手段に関して適切な見直しを進めていかない限り、統治機構そのものが旧態然としたものとなり、適切な役割を果たす事が出来なくなる可能性は大いにある。加えて、筆者自身は、国境線の越境困難度が著しく下がる「グローバリゼーション」の時代においてこそ、逆説的ではあるが、国家が国家たる要素の1つである統治機構の役割が再確認されるものと考えている。

そこで本稿では、個別具体的な政策論ではなく、俯瞰的な視点から「これからの統治機構の在り方」について考察を行っていきたい。いわば未来予想図である為、論の精緻さに欠ける部分もあるやもしれないが、一つのイメージ像として”思考のタネ”にして頂ければ幸いである。

広がる「aaS(as a Service)」という概念

昨今では「aaS」(as a Service)という概念が急速な広まりを見せている。従来この概念(用語)は、SaaS(Software as a Service) やHaaS (Hardware as a Service) の様にICT領域のバックエンドで多く用いられてきた。従来の「売り切り型」の事業モデルと比較して、消費者が常に最高の利益を享受出来る「サブスクリプション型」の事業モデルが「XaaS」として呼称されてきた経緯がある。加えて最近では、交通機関のサービス化を指すMaaS (Mobility as a Service) を代表例に、市民が直接的に利用するインフラについても「aaS」という概念が普遍的なものになりつつある。

従来は事業者(B : Business)から消費者(C:Consumer)へ一方向の事業展開(BtoC)がなされ、事業構造は事業者の視点が主体であった。他方、「aaS」という概念においては、消費者の視点が中心となり、消費者がより大きな利益を享受する事業構造となっている。これは、様々なプラットフォームやデバイスの普及が進んだ結果、消費者に関するデータの収集・蓄積・分析が可能になった他、事業者間での連携(BtoB)が格段に容易になった為に実現されつつあるものと言えよう。

ここで「aaS」の具体的な事例を見てみたい。例えばMaaS (Mobility as a Service) について、従来は複数の公共交通事業者を利用しなければ移動が出来なかった区間を移動することを思い浮かべて欲しい。今でこそSuica等の交通系ICカードが普及したが、Suicaが普及していない郊外で電車やバスを乗り継いで移動する際には、乗車券を複数回に分けて購入する、あるいは自分自身で行程を組むなど、相応の負担感がある事は否めない。

西鉄とトヨタ自動車が取り組むMaaSの実証実験「my route

こうした課題に対して、海外のとあるMaaS事業者はオンラインで1枚のクーポンを購入する事で、シームレスに移動することを可能とするサービスを提供している。結果として、その地域住民のみならず、他地域からの旅行者なども交通機関を利用する事が容易になる、あるいは、公共交通機関の利便性が向上する事で、自家用車の利用頻度を低下させ、エミッションの抑止としても機能する。こうした「公共交通機関の予約・決済の統合」のみならず、他の種類の交通機関(レンタカー・タクシー等)とも巻き込み、地域交通全体の連携を図る段階、そしてそうした統合された交通機関サービスが交通政策に組み込まれる事で、従来はインフラに過ぎなかった公共交通が、(地方)政府の政策の中で「サービス」に変貌を遂げるのである*1。

ここではMaaS (Mobility as as Service) を例に取り上げたが、「aaS」とは、政策の目的そのものを変える事なく、データを媒体として民間事業者を始めとする様々なアクターを巻き込みながら、消費者(利用者)目線で公共インフラを「サービス」へと昇華させる可能性を秘めている概念である事を確認しておきたい。

小さな政府/大きな政府論とその限界

伝統的に、政府が積極的に市場に介入し、高レベルの社会保障や、社会の平等を強く志向する政府は「大きな政府」と呼称される。他方、政府の市場介入を可能な限り排除し、治安維持や外交等といった民間組織では代替不可能な領域に関する事業のみを政府が担うとする「小さな政府」との名称がつけられている。

日本においても『どちらの形態がより好ましいか』という議論は枚挙にいとまがないが、かつて「日本型社会主義」と揶揄された歴史がある様に、傾向としては『大きな政府』の傾向が強くあった事は紛れもない事実である。日本においては政治(=事前審査制度に基づく自民党・部会の調整機能)・官庁・業界団体間の密接な意思疎通システム(いわゆる『政官業の三角形』)が築かれた他、各企業(含:自治体)の労働組合は、企業別労働組合ー産業別労働組合ー(ナショナルセンターとしての)連合のラインで社会的な影響を確保しつつも、基本的には単一企業内では労使協調が図られてきた。また、護送船団方式と言う用語に代表される様に、各業界で利益調整が行われ、いわば『コンセンサス至上型』で経済成長が実現されてきた。

他方、1980年代、90年代、2000年代初頭の一連の行政改革・政治改革の流れの中で、前述の様な三角関係は一定程度緩和された他、90年代の金融ビッグバン、2001年以降の「聖域なき構造改革」による郵政民営化・道路公団民営化などで、前述の「日本型社会主義」は相応に解体されている。こうした動きには、「新自由主義的」という批判が根強くあるが、様々な公共インフラ事業者を”民間”事業者とすることで、より強い「費用対効果」「費用対便益」分析が加わり、インフラの持続可能性を担保するという観点は、肝要である事は言えるだろう。

また、1997年のPFI法(民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律)をもとに、政府の支出を抑えながら、政府からの委託を受けた民間事業者が従来より質の高い公共サービスの提供を行う事が可能となっている。特に、昨今は様々な公共施設の更新時期が迫っている中で、PFIをより一層活用しようとする動きは官民双方で高まりを見せている*2。

民主党政権期(2009-2012)に強く打ち出されたコンセプト「新しい公共」では、政府(国・地方自治体)のみならず、民間企業やNPO・NGO、公益財団法人、学校法人なども「公共の担い手の当事者」として社会に参画する事が期待されていた*3。そして今日においては、多くのNPO・NGOやソーシャルベンチャーが地域や世界で「公共的活動」の担い手として活動を展開する様になった。

「新しい公共」に関する取組について(内閣府, 2012)より

構造改革・PFI法における官民関係と、「新しい公共」における官民関係は、質的に異なることは上図などから汲み取ることができる。ただ、いずれにせよ、人口減少や少子高齢化、都市一極集中等の課題に日本が直面する中で、従来の様に政府(国・自治体)のみを公共の担い手としてとらえるのではなく、多様な主体が協調しながら社会を維持し、持続可能性を担保する事の重要性がより一層高まっていると言えるだろう。「官」か「民」かという二元論的発想、更に言えば「政府でなければ公共の主体になれない」事を前提とした小さな政府・大きな政府論争は限界を迎えていると考えることは出来ないだろうか。

GaaS(Government as a Service)を目指せ

こうした議論を踏まえた上で、筆者はこれからの時代における政府の形として「GaaS:Government as a Service」を提唱したい。基本的なコンセプトは、『(国・地方を問わず)政府は「統治者」として君臨するのではなく、社会の持続的発展に向けた”黒子”に徹する』ことにある。

政府はまずデータプラットフォーマーとして、行政施策に関する情報を管理・手続きに基づきアクセス可能な状態を実現する。その上で、政府は公共体を維持する為に”法制・規制の改廃”や”非競争領域の整備(教育やインフラ設備の整備)” や ”(ある種のVCとして)競争領域への投資”を行う役割、あるいは様々なセクター間協業の”通訳”としてファシリテーターとしての役割、あるいは安全保障・社会保障などのセーフティーネットを維持する役割を果たす事を想定している。


「政府の在り方」について、なぜ筆者(栗本)はこうした抜本的な変化が必要であると考えているのか、それには大分して3つの背景がある。

まず、冒頭に述べた様に『来るべきSociety5.0時代への対応』との考えがある。”データ・ドリブン社会と巷で言われる様に、Society5.0時代においては政策立案・実施を含め、様々な場面で官民双方のセクターが「データ」を基軸に据える事になることは言うまでもない。こうした動きに、政府は正面からキャッチアップする必要があるだろう。だからこそ、政府は「データ」を収集・管理する主体であるだけではなく、データを媒体としながら、多様な主体と協働する形を現在以上に想定しなければならないのではないか。

データプラットフォーマーとして

本構想において、政府が「データプラットフォーマー」となる事が欠かせない。昨今はGAFAという言葉に代表される様に、GoogleやAmazonという多国籍民間企業が、独自のルールとアルゴリズムにしたがってユーザーのデータを収集・活用していることは自明である。他方、そうしたデータ収集・活用の在り方は極めて不透明なものであり、透明性の高いものではない。こうした現状を踏まえて、政府がデータプラットフォーマーとして、種々の情報を法律・規則に従って適切に収集・管理・活用する体制を構築してはどうだろうか。

昨今では課題として「マイナンバーカード」の低普及率が提起される場面も少なくないが、マイナンバーを基軸に各種行政データと国民・在留外国人等を紐付けすれば、各種行政サービスのポータル化も可能であろうし、それらのデータ群を「ビッグデータ」として処理しながら、種々の政策立案・形成に活かすことも容易になるであろう。

「監視国家」との批判を受けることは容易に想像がつくだろうが、そもそも民間企業体が(不透明な枠組みの中で)データを収集・活用している事と比較して、政府が(選挙によって選出された議員によって構成される立法機関を経て)策定された法律ないしは何らかの規則に基づいて運用する形はより「透明性・信頼性」の高いものとなることは言うまでもない。加えて、そうしたシステムにおいて、「データの所有権は各国民(ユーザー)に一義的に帰属する」との概念を明確なものとした上で、自身が所有するデータへのアクセス履歴の監視や承認・拒否を行う設計とすれば、システムの透明性・簡便性を担保することになるのではないだろうか。

政府は「雲の上」の存在ではなくなる?

第二に、『グローバル社会における政府の役割の再位置付け』を図る必要性が生起していることが挙げられる。最早”国境線”は越境を前提とするものとなり、人々は国境線そのものを高いハードルとして捉えなくなっている事は周知であろう。日本においては少子高齢化が急伸し、今日においては在留外国人は260万人、外国人労働者は140万人を超えている。日本の社会構造を維持する為に「外国人労働者の受け入れは止むを得ない」という立場を筆者(栗本)自身は取るが、そもそも「日本を選ぶインセンティブ」が無ければ、単なる絵空事に過ぎない。況や、日本国民にとっても『政府を選ぶ』時代になると言っても過言ではない。そうした事を踏まえて、政府そのものも”ユーザーフレンドリー”なものへと転換していく必要があると考えている。

そして、政府を『流動的に施策を展開する主体へと昇華』させることを図る必要があるだろう。本章の冒頭にも述べた様に、国・地方問わずに政府が「統治者」として君臨する時代は終焉を迎えつつあると言って良いだろう。これからの時代は、官民が横並びに”連携”するのではなく、民間主体の種々の事業・活動を(ある種の)『黒子』として支える政府がより一層求められる様になるのではないだろうか。もしくは、民間が事業・活動を展開できない領域へ重点的に資源配分を行い、施策を展開していくことが肝要になるのではないだろうか。


コメント

  1. […] 心を持つ人間の一人である。本書を通して、以前に執筆した 『Government as a Service( #GaaS )を目指せ:これからの統治機構とは』でイメージした様な、”機動的な地方政府”における公務員 […]

  2. […] 的にはGovernment as a Service(GaaS)の勃興も、自然なことと言える。「Government as a Service(#GaaS)を目指せ:これからの統治機構とは」(以下「栗本の論考」) において栗本は、「(国・地方を問わ […]

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