インターネット選挙運動の沿革2:広がる利用と変わらない規制

コラム

インターネット選挙運動解禁の走り:2005年衆院総選挙に至るまで

2002年になると総務省(自治行政局選挙部選挙課)が「IT時代の選挙運動に関する研究会」を発足させた。この研究会の目的は『インターネットを用いた選挙運動の可能性と問題点及び公職選挙法に規定する選挙運動手段についてIT時代に即して見直すべき点についての調査研究』とされ、約1年間にわたって調査研究を行なった。最終的な報告書においては『原稿の選挙運動規制は維持しつつ、新たにインターネットによって選挙運動を行うことを可能にすること』を主軸として、9項目にわたる提言がなされた。 (IT時代の選挙運動に関する研究会 2002)

これら9項目の提言は当時としては極めて積極的であった。これを契機に2003年の新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)による「公職選挙法改正に関する声明文」等[1]、民間レベルでの機運醸成が図られるようになった。

特に、2005年の郵政解散の前後には、ネット選挙運動を巡る歪みが表面化する事となった。衆院解散直後には、自民党が「メルマガ/ブログ作者と党幹部の懇談会」[2]を開催 (三柳英樹 2005)し、選挙戦に際したインターネット対策に傾注する姿勢を明らかにした他、公示日以降の民主党のホームページへの記事投稿などを巡って、自民・民主党間で論戦が繰り広げられるという“事件”も生起した。また、民主党がマニフェストの中で、「インターネット選挙運動の解

禁」を謳い、党としてインターネットの積極的な活用を推進する姿勢を明らかにする (民主党 2005)など、インターネットと政治の関係性を検討する際に、転換点の一つとなる選挙となった。

進まない制度設計と政局の流れの中で:民主党主導の動きと政権交代

2005年の郵政解散・総選挙[3]以降、制度的な間隙を縫う形で候補者によるインターネット媒体の利用は加速していく。1996年の自治省見解に基づいて、文書図面とならない媒体としてPodcast[4]の使用を推進した候補者、自治省見解に従わずにブログ更新等を続ける候補者など、多種多様な媒体を使用した発信が行われており、総体としては混沌とした状況にあったと言って良い[5]だろう。

この混沌とした状態を解消するために、当時の政権与党であった自民党も、或いは最大野党であった民主党も、双方がインターネット選挙運動の実現に向けた運動を加速させていく。特に民主党が流れを先取りする形で、2005年12月に、政権交代を見据えた「次の内閣」の中に「公職選挙法改正に向けたネット選挙活動調査会(以下:ネット選挙委員会)」を設置、インターネットを利用した選挙運動の解禁に向けた動きをより鮮明にしていく。

この調査会が発出した中間報告書では、ネット選挙解禁の目的として

  1. 有権者の選挙に対する関心を高める
  2.  
  3. 政策本位の選挙を実現する
  4.  
  5. 候補者と有権者との対話を促進する
  6.  
  7. カネのかからない選挙を実現する
  8.  
  9. 在外邦人・障がい者等への対応
  10.  

の以上5点が設定され、具体的な制度設計として10点の要点[6]が提示された。 [宮田啓司 2016]

自民党もこの流れを受けて公職選挙法の改正を模索する動きが一部ではあった (選挙ドットコム 2012)ものの、国会への提出には至らなかった。

民主党・ネット選挙委員会の提言を受けて、民主党内では公職選挙法の改正案を2006年以降、各国会に提出していく[7]。しかしながら、第一次安倍政権の瓦解を皮切りに政局の不安定化した事によって、インターネット選挙運動の解禁を含めた選挙改革は何ら進展を見せる事はなかった。

世論の風向きが「政権交代」へと向き合う潮流の中、2009年の衆議院総選挙[8]において民主党はマニフェストの中で再度「インターネット選挙運動解禁」を目指す姿勢を明らかにし[9] (民主党 2009)、そのマニフェストを掲げて衆院選で大勝を収めた他、12月には民主党インターネット選挙運動解禁研究会を発足させた。

政局の流れと震災:政局による改正頓挫と震災を契機とした転換

その一方で、鳩山由紀夫政権は当初の高支持率を維持する事が出来なかった。発足から約3ヶ月後の12月には支持率は50%を割り込み始め、年明けの1月18日以降には支持率が持ち直す事はなかった[10]。その中で、2010年4月に自民党からインターネット選挙運動解禁に関する公職選挙法改正案が提出された。

この改正案に関しては、以前のものと比較して国会内でも大きな進展を見せ、国会内[11]に「インターネットを利用した選挙運動に関する各党協議会」が設置、解禁に向けた与野党合意がなされたものの、結果的には前述の流れを受け、鳩山内閣が総辞職となった事で廃案となり頓挫した [選挙ドットコム 2012]。その後、自民党が数度にわたって改正案を提出した[12]ものの、実質的な審議が行われる事はなかった。


[1] 郵政解散・総選挙以降、東京商工会議所などによって提言書が発出された他、藤末健三参院議員(当時・民主党)などによってネット選挙に関する質問主意書も提出された(2005,2009)。

[2] この会合は世耕弘成・広報本部長代理(当時)が武部勤・幹事長(当時)と共に主宰したものである

[3] 第44回衆院総選挙 2005年8月30日公示、2005年9月11日投開票

[4] Podcastとは、主にオーディオ(音声)用いたブログであり、ブラウザ等を通して聴取が可能である

[5] 触法・適法の基準が自治体によって大きく異なっていた事も、混沌とした情勢を生み出したと指摘できる

[6] 1.インターネット利用の原則解禁2.第三者による選挙活動促進3.限定的な有料広告の解禁4.インターネット等を用いた選挙期日後の挨拶行為解禁5.選挙期日後のインターネット上における選挙運動用文書の削除義務6.人気投票の公表禁止7.インターネットに関する選挙活動費の制限8.ネット選挙活動の普及促進9.選挙活動に関するノーアクションレター導入の検討10.ネット選挙解禁に伴い生じることが懸念される事項への対処

[7] いずれの場合も渡辺周衆院議員が法案の筆頭提出者であった(計8回)

[8] 第45回衆院総選挙 2009年8月18日公示、2009年8月30日投開票

[9] 2005年のマニフェストにおいては政治改革・行政改革の文脈に位置付けられていたが、2009年のマニフェストでは「ムダづかい(をなくす)」文脈への若干の修正がなされている

[10] 共同通信による電話世論調査の支持率推移 2009年11月29日には63.7%あった支持率が同年12月26日の調査で47.2% へと急落し、年明けの1月11日に50.8%に持ち直して以降は、下落の一途を辿った

[11] 第174回通常国会

[12] いずれの場合も村田吉隆衆院議員が法案の筆頭提出者であった(計7回)

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